2009年8月30日日曜日

寛大なのが本当にいいのだろうか?



無職男に懲役10年求刑=不明少女捜索詐欺−大阪地裁支部
(8月28日18時50分配信 時事通信)

 2003年に大阪府熊取町で行方不明となった吉川友梨さん(15)の捜索などを装い、父親から現金約7300万円をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた無職中谷浩気被告(40)の論告求刑公判が28日、大阪地裁堺支部(向井敬二裁判官)であり、検察側は「親心につけ込み反人道的で卑劣」として懲役10年を求刑した。判決は10月5日。
 検察側は論告で「多額の借金までして金銭を捻出(ねんしゅつ)し、身を削る思いで娘の帰りを待ちわびた揚げ句、詐欺と知った父親の悲痛や絶望感は筆舌に尽くしがたい」と指摘した。
 弁護側は最終弁論で「犯行の重大性を認識し、反省している」と寛大な判決を求めた。中谷被告は「どのような厳しい判決も真摯(しんし)に受け止めます」と述べた。 


不明少女捜索詐欺で有罪=同居男と共謀の38歳女−大阪地裁支部
(2009/05/22-13:35 時事通信)
 2003年に大阪府熊取町で行方不明となった吉川友梨さん(14)=当時小学4年=の捜索などを装い、父親から現金をだまし取ったとして詐欺罪に問われた無職川上佳代被告(38)の判決公判が22日、大阪地裁堺支部であり、向井敬二裁判官は「卑劣で悪質」として懲役2年、保護観察付き執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡した。
 事件では、川上被告と同居する中谷浩気被告(39)も、父親から約7300万円を詐取したとして起訴され公判中。
 向井裁判官は「自堕落な生活からの金欲しさという動機は身勝手」と指摘。「計画的で、親心に付け込んだずる賢い犯行。処罰感情も厳しい」とした。一方、「犯行は共犯者の中谷被告が計画した」と執行猶予の理由を述べた。



 求刑10年、と執行猶予4年付き懲役2年の判決。
 この犯人たちは、だまし取った金で豪遊していた。感情的な発言とはわかっているが、それにしても刑が軽いのではないだろうか?父親の気持ちに思いを馳せるとなんともやりきれない。

2009年8月23日日曜日

付き合わねばわからない事も多いのだが。




女子大生の首締める、31歳男逮捕…復縁断られ?
(2009年8月22日11時52分 読売新聞)

 千葉県警君津署は22日、元交際相手の女子大学生(21)を殺そうとしたとして同県君津市南久保、会社員古賀陽介容疑者(31)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。

 大学生は、今月18日未明に古賀容疑者から暴行を受けて胸にけがをしたとして、同日中に同署へ被害届を出していた。

 発表によると、古賀容疑者は22日午前1時40分頃、同市根本の駐車場に止めた車の中で、元交際相手で同市在住の女子大学生の首を両手とシートベルトで絞めて殺そうとした疑い。大学生は意識不明の重体。古賀容疑者が復縁を迫ったが、大学生に断られたらしい。古賀容疑者は「復縁してくれないなら、殺すつもりだった」と供述している。

 古賀容疑者は21日午後11時頃から大学生の自宅近くで待ち伏せし、車で逃げた大学生を自分の車で約10キロ追跡。駐車場に止まったところで、大学生の車に乗り込んだ。古賀容疑者は首を絞めた後、自分の母親に「人を殺した」と電話し、母親が119番した。

 古賀容疑者は、大学生がアルバイトをしていた飲食店を客として訪れて知り合い、2年ほど前から交際していたという。

 同署の井出明夫副署長によると、18日に大学生の被害届を受けた同署は、親類の家に避難して車の置き場所も変えるよう助言するとともに、傷害事件として捜査に着手。22日には、大学生から事情を聞いたうえで古賀容疑者の逮捕状を請求する予定だったという。同署は大学生の自宅などの警戒はしていなかった。

 千葉市花見川区の団地で今年7月に豊田愛子さん(当時61歳)が殺害され、次女の智美さん(22)が連れ去られた事件でも、智美さんは元交際相手の仲田敬行被告(28)(殺人罪などで起訴)に連れ回されたなどとして、1週間前に千葉県警千葉北署に相談していた。


 最近この手の記事が取り沙汰される。昔から別れ話がもつれて殺害なんて事はまま耳にしたが、数が増えたのかやり方が極端に暴力的になったのか?ストーカーという言葉が一般化しその被害内容も周知の故か。
 しかし、実際お付き合いする相手がそういう人間がどうか、付き合いが深くならないと性根なんてわからないし、わかった時にはもう遅い。そこが厄介。恋愛関係は相手の事を深く知るための時間なのに。これでは、恐ろしくて出会いやら恋愛やらなんて、お勧めできない。

 人間不信を助長する事柄だと思うし、国家の根幹を揺るがす事だと思う。

2009年8月9日日曜日

核と世界情勢と理想




<被爆の国から>オバマ大統領へのメッセージ/6 体験を語る元自衛隊幹部
(gooニュース/毎日2009年8月9日(日)13:00)

 ◆被爆者の私は対核防護セットを持ち歩いています。こんなものを持たなくてすむ世界を作ろうではありませんか。 加藤高明

 ◇「核防護」必要だけど…

 今年になって2度、加藤高明さん(74)=さいたま市=は故郷の長崎市内を歩いた。64年前、国民学校5年の、夏休みだけど午後は登校日だったあの日、自宅近くの友人宅の縁側でおはじき遊びをしていて空を見上げようとしたあの時。午前11時2分。世界がまっ黄色に染まり、次の瞬間、吹き飛ばされて散乱した畳の下に埋まった。あの場所に立ち、爆心地まで歩いてみたかった。

 記憶は昨日起きたことのように鮮明だ。全身にけがをし、運び込まれた防空壕(ごう)の入り口で、4歳上の先輩が「ちくしょう、ちくしょう」と叫んでいた。壕からは一歩も出なかった。1週間後、父が疎開を決意する。一家全員で荷物を抱え市外に出た。

 倒壊した家は建て直されていたが、母屋の石垣はそのままだった。爆心地まで1・5キロ。方向は分かっている。野戦病院ができて、焼死体の山があった先。戦後どんどん住宅が建ち進んでも、故郷を焼き尽くした爆発の方向は忘れようがない。ぶらぶら歩いても30分。初めて実感した。原爆はこんなに近かった——。

 高校卒業後、大学では獣医師の資格を取ったものの、折から就職難の時代。幹部自衛官を養成する陸上自衛隊の幹部候補生学校に進むことを決めた。陸自では化学職種。約30年、主に核・生物・化学兵器に対処する化学部隊にいた。核・生物・化学・放射能兵器は英語の頭文字を取って「NBCR兵器」と呼ばれる。「被爆者で、獣医で、化学防護隊長を務めた私は『NBCR』をすべて経験した変わり者です」。はにかんだ笑顔に誠実さがにじむ。

 陸自で教える対核防護の3原則は「距離」「時間」「遮へい」。被爆被害を少なくするには、できるだけ離れ、滞在時間をなるべく短くし、ビルや地下に退避せよと教える。加藤さんが被爆時に遊んでいた縁側の木の壁の向こう側が爆心地だ。熱線に直接さらされずに済んだのだ。加えて、父が早めに疎開を決断したため、残留放射線をあまり浴びなかった。防護理論はそのまま加藤さんの実体験に重なる。

 退官後、NPO「NBCR対策推進機構」(東京都中野区)の設立に加わり、いま副理事長としてテロ対策などを講演して回る。被爆体験を一般の人に話し始めたのは最近のことだ。体験を交えれば、相手は身を乗り出して聞いてくれる。持ち歩いている「核防護セット」をカバンから取り出してみせる。頭からすっぽりかぶって「死の灰」(放射性降下物)から身を守る大きなビニール袋や生き埋めになったとき役立つ警笛など。「自分の安全は自分で守ることが基本です」。信念を口にする。

 被爆者にとって核廃絶は悲願だ。一方で核兵器に対する備えすら拒む長崎市民が多いことも、加藤さんは知っている。「核に反対しなきゃと思う。でも、核保有国に囲まれ、北朝鮮も持とうとしているときに、日本だけ持たないでいいのかとも思う」。理路整然とした口調が一瞬、小声になった。「揺れ動いているんです」【滝野隆浩】=つづく



 現実問題として揺れるだろうと思う。被爆体験者でさえ揺れるような状況なのだろう。そういう世界なのだろう。武力の均衡でしか「戦争」を防げない。

 60年以上もの間、何をしてきたのだろう?理想像なんて吹き飛んでるし。

 やはり、貧すれば鈍する、世の習い。