2009年5月24日日曜日

自由と個性と選択は制服から考えるとよいのでは?




「自由過ぎて」私服不人気…千葉県立小金高、制服再導入へ
(2009年5月23日07時58分 読売新聞)

 千葉県松戸市の県立小金高校(堀誠校長)が、志願者離れに歯止めをかけようと、これまで認めていた私服通学を廃止し、制服着用に切り替える。
 2011年度の新入生から導入する。近年、特に女子生徒の間で「制服人気」が高まっていることを踏まえたもので、学校改革の一環として方針を打ち出した。
 この方針は昨年末、周辺中学などに通知され、今春の入試では定員が今の280人になった05年度以降、最も多い計600人が受験。一定の手応えを得たという。
 同校はもともと制服だったが、生徒らの希望などを受けて1993年度から服装を自由化し、これが大きな特色の一つになっていた。県教委によると、県立全日制で私服通学の高校は現在、同校のほかには東葛飾高(柏市)1校しかない。
 ところが近年、小金高は受験倍率が低下傾向をたどり、04年度には学力検査入試で1・15倍と「定員割れを心配するレベル」(本城学教頭)まで低下。危機感を募らせ、05年度から教職員が毎年100校以上、県外も含めた周辺の中学校や学習塾を訪れて、どうすれば人気回復が図れるか、意見を求めた。
 その中で、同校が着目したのは「今の中学生は私服より制服を好む。制服がない学校は敬遠される」との指摘だった。
 学園紛争があった1960~70年代を中心に、「自由」を求める気風から、全国的に私服を認める高校が増えたが、近年は「制服回帰」が進んでいるとされる。中学・高校の事情に詳しい出版社「声の教育社」によると、「私立などで制服をモデルチェンジすると受験者が増える傾向があり、制服が学校選びに影響を与えている。首都圏では高校の90%以上が制服で、増加傾向にある」という。
 学習塾「スクールマインズ初石校」(流山市)の田代徳昭校長は「女子を中心に、最近は制服で高校を選ぶ子も珍しくないし、制服を歓迎する親も多い」と話す。
 小金高では、「制服再導入」の先例として、埼玉県立越ヶ谷高校を視察。人気低下に悩む伝統校という「同じ悩み」を抱えていたが、03年度に制服を導入してからは状況が好転し、今春の入試では、受験倍率が埼玉県東部で1位。「“自由過ぎる”としてあまり来てくれなかった地元の中学からも、生徒が来るようになった」(中山長年・越ヶ谷高教頭)という。
 こうした状況を踏まえ、小金高では江川豊・前校長を中心に制服導入の方針を打ち出し、昨年10月、生徒や保護者に説明。生徒からは「私服だからこその小金高。個性がなくなる」という反対意見も多かったが、保護者側からは「経済的な理由で制服がいい」「制服化でエネルギーを勉強に向けてほしい」などと大方が理解を示したという。現在、教員、生徒双方が参加する制服検討委員会で、基本的なデザインなどを考案中だ。
 同校では最近、制服への思い入れから“なんちゃって制服”と称し、制服のような服装で登下校する女子生徒も増えているという。検討委に参加する生徒会長の亀田奈央子さん(3年)は「自主の校風を残した上で、多くの人に好かれる学校にしていきたい」と話していた。


 自分が通っていた高校は100年の歴史を持つ伝統ある公立高校で、3代同じ高校に通ったという人がいた!ぐらい。
 特に学生運動の影響があるのか無いのかは、よくわからないが、当時は制服は標準服として位置づけ、革ジャンはダメなどのある程度の規則はあったが私服でもOKであった。毎年生徒会へ教員から服装の乱れをチェックする事も含めて、標準服制度の現状確認を求められていたらしい。標準服制度へ持っていった先輩方は頑張ったんだろうが、後に続く者共が喧々諤々としたようには思えなかった。 本当はそこが大事なのだろうが、良くも悪くも呑気な高校だったのでズルズルダラダラと時が過ぎていった感が否めない。
 当時からほとんどの学生は、当時から制服を愛用してた。今と違い大して見場のいい制服がみんな買って着ていた。蛇足なれど、自分が受験した代は受験生数が定員割れしてた。
 やっぱり通学時は制服で、というのが落ち着くのであろうか?学校のステータスシンボルにもなることだし。服装の規程が自由や個性を束縛している事実になると単純に決めるのも、時代錯誤なのであろう。そういう目的、用途で制服を使用する場合も当然あるが。制服の持つ社会的心理的機能よりも、着ている世代が認める、ある種の「素敵さ」「便利さ」の方が重要なポイント認識しているのではないだろうか。着る者本意。
 制服を着ることすらこれまた自由。学生時代ならではの選択肢だと思う。その後の制服強制人生の方が長い、選択肢もあるわけで。

 「なんちゃって制服」わざわざそこに狙いを定めるか!と思い微笑ましい。

2009年5月9日土曜日

インフルエンザの諸症状への対処薬




漢方「麻黄湯」、インフルにタミフル並み効果…福岡大病院
(読売新聞 2009年5月8日22時11分)

 インフルエンザの治療に漢方製剤の「 麻黄湯 ( まおうとう ) 」を使うと、抗ウイルス薬のタミフルと同じ程度の症状軽減効果があるという研究結果を、福岡大病院の鍋島茂樹・総合診療部長らが明らかにした。

 新型インフルエンザへの効果は未確認だが、タミフルの効かない耐性ウイルスも増える中、注目を集めそうだ。

 日本感染症学会で4月に発表された鍋島部長らの研究は、昨年1月〜4月に同病院を受診し、A型ウイルスを検出した18〜66歳の男女20人の同意を得て実施。うち8人はタミフル、12人は麻黄湯エキスを5日間処方した。ともに発症48時間以内に服用し、高熱が続く時は解熱剤を飲んでもらった。

 服用開始から平熱に戻るまでの平均時間は、タミフルが20・0時間、麻黄湯が21・4時間でほとんど違わなかった。解熱剤の平均服用回数はタミフルの2・4回に比べ、麻黄湯は0・6回と少なくて済んだ。

 麻黄湯のインフルエンザへの効能は以前から承認されており、健康保険で使える。



タミフルはインフルエンザの増殖を抑える効能があるとのこと。
http://hobab.fc2web.com/sub6-Tamiflu.htm

それに対し、麻黄湯は風邪やインフルエンザの諸症状を抑える効能があるよう。
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/353/353538.html
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se52/se5200132.html

 効いて、楽になればどちらでもいいのでしょうが、それぞれ副作用と向き不向き(証)も把握しておかないと。薬ですから。
 個人的にはタミフルオンリーの風潮に胡散臭さや疑問を感じているので、これは朗報だと思います。何事にも選択肢があるのがいいです。
 あと、麻黄湯に保険が利くのがありがたい。

2009年5月5日火曜日

訃報:昭和の偉大なる芸人


「サウンドコピー」の久保田進さんが死去
(SANSPO.COM 2009.5.1 20:51)

 漫才コンビ「サウンドコピー」の久保田進(くぼた・すすむ、本名・竹内格)さんが4月29日午前6時38分、肝不全のため、かねてより入院中の神戸市内の病院で死去。68歳だった。
 葬儀・告別式は故人の強い希望により先月30日に、自宅にて家族葬を済ませている。
 また相方の上純一(60)が「37年前にアマチュアからプロの世界に入れて頂いた恩人であり、芸に対しては厳しい師匠でもありました。私生活では優しいお兄さんで、いつも勇気付けて下さいました。心よりご冥福をお祈り致します」と事務所を通じてコメントを発表した。


 一世風靡したトリオザミミックのお二人でサウンドコピーと称して、引き続き「声色」の芸を魅せてくれました。

 4月中頃にテレビの演芸ものをたまたま見たときご出演しておられ、定番のウグイスやカラスの鳴き声の模写の掛け合いなど演じておられ、客席の若人が驚嘆の声を上げていたのが印象的でした。しかしながら早々に降りられたので、失礼ながらお年でお辛いのかな?(どうも収録が深夜にまで押していたらしい)等と拝見しながら勝手に思っていたのですが…。まだお若いのに残念です。
 今の「笑われる事で笑わせる笑い」とは違い、ひとつの芸を磨いて披露する「芸」をしっかり演じる、今となってはマイノリティながら偉大な「芸人」の一人だと思います。

 謹んでご冥福をお祈り致します。


トリオザミミック時代の進師匠(中央)

2009年5月3日日曜日

いつまでも歌い続けてほしかった。




忌野清志郎さん死去=RCサクセション率いた「ロックの神様」
 (時事通信 2009/05/03-00:32)

RCサクセションの中心メンバーとして活躍、「雨あがりの夜空に」などのヒット曲で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日午前零時51分、がん性リンパ管症のため、東京都内の病院で死去した。58歳だった。東京都出身。葬儀は9日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻栗原景子(くりはら・けいこ)さん。
 1968年にRCサクセションを結成。70年、「宝くじは買わない」でデビューした。「僕の好きな先生」「い・け・な・いルージュマジック」などが大ヒット。「ロックの神様」と呼ばれ、CM、映画などでも活躍した。
 政治的なメッセージを織り込んだ曲も歌い、反原発を取り扱ったアルバム「COVERS」や、パンクロック風にした「君が代」を含む「冬の十字架」が一時発売中止になった。
 2006年7月に喉頭(こうとう)がんで入院したが、08年2月、日本武道館公演で復活。しかし、7月に転移が判明し、治療に専念していた。



 彼がロッカーなのかブルースマンなのか正直よく判らないが、そんな小さい事は彼にはどうでも良いのだろう。希有な表現者である事は間違いなく、敬意を表します。

 いつまでも、赤いちゃんちゃんこはもちろん、杖をついても車椅子にのっかってでも、ステージ上から「愛し合ってるかい」とアピールする姿を勝手に思い画いていただけに、突然の訃報はさびしい。

 謹んでご冥福をお祈り致します。