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さようなら、オシムさん—夕刊フジ・久保武司
(夕刊フジブログ 2009年1月11日)
■久保武司編集委員「KUBOログ」
サッカー日本代表のイビチャ・オシム前監督(67)が4日に帰国した。東京ディズニーランドの花火を見ることもできた本人もお気に入りだった千葉・浦安の自宅も契約を更新せずに飛び立った。次回の来日の予定はない。
最後のオシム語録は「私の人生の中で涙を流したことはほとんどない。今日は別だ。ほんとうにうれしい…」としんみり。そのワケは4日の成田空港には公式発表がなかったにもかかわらず、およそ5年間指揮をしたジェフのサポーターや、来日初年度に「おまえが主将だ」と21歳で初チームキャプテンに任命された日本代表DF阿部など300人超える見送りがあったからだ。外国人監督がこれだけの歓迎を受けて帰国するのはおそらく史上初だろう。
就任当初は、そんなオシム氏に私は「?」を投げかけ続けてきた。「考えて走れ!」というスローガンを掲げたが、サッカーなら当たり前のことだ。「その通り。戦術もやり方も一昔前のもの」とあるJリーグ監督や元代表OBからもそう支持をえた。「40年以上前(東京五輪の際に)、初めて日本にやってきたが、それから全く成長していないのは君たちマスコミだ」という強烈な言葉も忘れない。
実はオシム氏が日本を離れる際に流した涙は、もちろんうれしい気持ちもあるが、悔しさもあるはずだ。と、いうのは本人の希望は日本サッカー協会アドバイザーの契約更新だった。一昨年11月に倒れ、昨年6月に「ほんとうにいくつもの奇跡がおきた」(協会関係者)中での復帰。口を開けば「日本サッカーに何らかの形で協力したい」ということばかり話していた。
しかし、それは叶わなかった。オシム氏には、岡田ジャパンどうのこうのよりも、本人の一番の希望は若い世代の育成統括責任者に据えるべきだという声が協会の中でも持ち上がっていた。しかし、このポジションには日本協会はフランス協会で実績をあげた元担当コーチを契約している。しかし、その成果が全くあがっていない。年間数億円の費用をかけてサッカー選手になるためのエリート教育をうたいながら、どの世代にも代表はもとより候補にすら入っていない。
けれどもオシム氏の場合は代表監督時代には大きなタイトルこそなかったものの、今、岡田ジャパンで主軸として活躍している選手は明らかにオシムイズムを経て、レベルがあがっている。
代表監督就任当初に「もっともっと走れば、すごい選手になるのに。彼は走ることが嫌いなようだ」と散々嫌みを言っていたMF遠藤(G大阪)はクラブW杯であのファーガソン監督にたった1人だけ日本人選手として名指ししてもらえるだけの選手になった。これは遠藤自身の力もあるが、「遠藤の場合はオシムさんのアシストが非常に大きい」「ドイツW杯の時にオシムにすべきだった。今がジーコの方がもっと代表チームは強くなっているよ」と話す協会関係者もいた。はっきりいってオシム氏は日本サッカー協会を追い出されたといっていい。それでも「恨んでいないですよ。あの人は」とオシムジャパンのある関係者はそう語っていた。
今年の元旦。G大阪の18年ぶりの優勝で沸いているスタンドの外で「君たちともっともっとサッカーでケンカをしたかった」と話したオシム氏の眼はとても寂しそうだった。しかし、差し出した右手の握力はとても67歳の力ではない強さだったことが余計に身に染みた。
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オシム氏がいた頃のジェフの成績といい、今の日本代表が成立していることといい、日本のサッカーへのオシム氏の貢献は大きいのではないか。なんだかんだ言っても育成にかけては凄腕なんだろうと思う。こういう人にこそ、なんとかポストを作ってでもいてもらった方がいいのではないだろうか?天下りっぽいけど。
なんか恩を仇で返している印象が拭えない。

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